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[YD]よのって、誰?

いや、正体はバレバレなんだけどね(笑)

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2013.06.09 Sunday

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    2009.01.30 Friday

    旅する力〜深夜特急ノート(沢木耕太郎)2

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      JUGEMテーマ:読書

      もはや書評や感想の香りはしなくなっているけれど…

       

      旅への憧れ


       

       確かに、旅は病のようなものかもしれない。それも永遠に癒されることのない病だ。
       旅への願望が病だとすると、私がそれに冒されたのはいつのことだったのだろう。中学生のころだったろうか。あるいは、高校生のときだったろうか。
       過去にさかのぼってゆっくり考えていくと、ひとつの光景に出会う。小さな商店が軒を連ね、その前を歩いている通行人に、ダミ声の男たちが呼び込みをしている……。
      (引用/「旅する力・深夜特急ノート」20〜21、第一章「旅という病」「その小さな旅がすべての始まりだったのかもしれない」より)

      旅…という事に憧れを抱いたのは、いつの事だろう。
      少なくとも小学生になった頃には、「旅に出る」という事に強い憧れを持っていた。

      電車が好き…という、男の子なら多かれ少なかれ持つ嗜好が、より濃厚に出やすい環境にいたというのは、大きな理由のひとつだろう。
      もう、電車が通るたびに家が揺れるような国鉄の線路沿いに住み、「電車」という乗り物を当たり前に目にし、だから遊びの中に電車が普通に存在した。
      その電車に乗ればうんと遠くまで行けるんだ…という思いは早くから持っていたし、電車に乗って、今まで見たことのない、新しい景色に触れたいと思うようになるのに、そんなに時間はかからなかったように記憶している。


       「家族旅行」の記憶も、理由に数える事が出来るかもしれない。
      物心つく前から、父主導で、毎年夏になると熱海に旅行に行っていたらしい。
      毎年同じ宿、同じコース…という代わり映えのしないものだったらしいが、当時としては恵まれた環境にいたことは間違いない。
      物心ついた頃に「熱海」は「箱根湯本」に変わり、親と一緒に行動することが気恥ずかしくなる小学校高学年くらいまで、毎年のように連れて行かれた。
      同じように、誰かに感化された父が毎年行うようになった「成田山への初詣」にも必ず同行していた。決して「親と出かけるのが楽しい」のではなく、それはむしろ苦痛だったのだが、「電車に乗ってどこかに連れて行ってもらえる」事は、間違いなくワクワクする出来事だった。
      小学校の頃にたまたま両親の縁故に忌事が続いたことで、九州と群馬には頻繁に連れて行かれ、長距離列車や飛行機にも小さなころから「馴染んで」いた。

      だから、というわけではないが、単独行動に出るのは、比較的早かった。

      小学校4年の頃…だったと記憶しているが、「一筆書き乗車」というのが一部のマニア達の間でブームになった。
      東京、大阪、名古屋など大都市周辺には「大都市近郊区間」という特例区間が設けられており、ある一定の条件を満たせば、最短距離で乗車料金が計算されるという制度だ。
      具体的には、

      ・途中下車をしない
      ・乗車券の有効期間(当日中)内に下車する。
      ・同じ駅を2度通らない
      ・交差しない

      などの条件を満たすことで、極端に言えば「初乗り運賃でぐるっとひと回り」が合法的に出来る…というものだ。

      Wikipedia「大回り乗車」

      その「一筆書き乗車」の話題がある日、テレビのニュース番組で流れた。
      ニュースを見て「無性に」やってみたくなり、ある日、母を強引に説き伏せた。
      無論、良い顔をするわけはない。まだやっと高学年になったばかりの息子が、区間の短い乗車券とわずかばかりの現金を持って、行ったこともない場所をほっつき歩くのだ…まだ夜も明けぬうちから、終電近くまで。
      散々止められたが、それでも諦めずに意地を張り続け、半ば「諦めた」という感じで「旅行資金」を手渡され、「旅」に出発した。

      もちろん途中下車が出来るわけでもなく、ただひたすら電車に乗り続けるだけだったが、路線図をにらみ、時刻表を見比べながら先に進む…というその「旅」を、心の底から楽しんだ。
      沢木氏にとっての「マツザカヤ」(16ページ〜)は、ボクにとっては間違いなく「一筆書き乗車」だった。「誰かに言われるのではなく、自分の手で道を作り出す」事の喜びは、この時覚えたと言ってよい。

      「旅」への憧れを、少しずつ形にし始めた。
      とはいえ、まだ小学生の時分だ。そう簡単に家を出してもらえるわけではなかったが、それでも、同じように強引に出かける「機会」を勝ち取った事は幾度かあった。
      たとえばある雪の日、「雪が降ったら成田の公園は綺麗だろう」と、無性に写真を撮りに行きたくなり、親に呆れられながら使い捨てカメラを1本持って家を飛び出した…という話は、今でも家族に語り草にされる。
      「父との成田詣で」の際案内された成田山公園(成田山境内)の景色を子供ながらに覚えており、そこに雪が積もる姿を見たくなってしまったのだ。
      今でも、その時撮った写真は実家に残っている。母は「こんなときにわざわざ…」と思ったらしいが、本人は至って気軽だった。気軽だったにもかかわらず、その雪景色に感動をして、ケロッとした顔で帰ってきた。

      後に成人し、「車」という道具を手に入れてからは、車で出かけられるようなところにはどこにでも出かけた。
      逆に、ほかの事にお金を使ってしまうせいで遠距離旅行の縁にはあまり恵まれず、出かけられない鬱憤を、「ちょっと距離のあるドライブ」で紛らわせ続けた。

      結局、国内旅行も含め、自分で企画した「旅行」は、両手で数えられるほどしか経験していない。
      その分「新鮮さ」が持続しているのではないか?とわずかに期待していたりするが、良くわからない。

      2013.06.09 Sunday

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