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[YD]よのって、誰?

いや、正体はバレバレなんだけどね(笑)

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2013.06.09 Sunday

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    2013.02.16 Saturday

    唐衣と白狐

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      現在の田浦町5丁目、国道16号からだいぶ奥に進んだ場所に盛福寺という寺院がある。

      盛福寺
      盛福寺 posted by (C)yonosan0421


      大きな地図で見る

      創建は江戸時代、玉峰法葩(ぎょくほうほうは)開山と伝わる、臨済宗の寺院である。
      盛福寺については稿を改めるが、この盛福寺の境内に、通称「田浦稲荷」と呼ばれる社が祀られている。

      田浦稲荷
      田浦稲荷 posted by (C)yonosan0421

      この田浦稲荷、元々は現在の田浦一丁目、通称「月見台」と呼ばれる辺りに祀られており、盛福寺開山の折に境内に勧請されたと伝えられている。


      「月見台」を含むこの田浦町1丁目の高台、地元では「城の台(しろんだ)」と呼ばれている。
      諸説あるのだが、「田浦をあるく」によるとその月見台の麓、およそこの辺りに祀られていたらしい。

      http://members2.jcom.home.ne.jp/kemukemu/newpage92.html

      白狐が祀られていた場所
      白狐が祀られていた場所 posted by (C)yonosan0421


      今私達が想像する「城」ではないが、確かにここには武将が屋敷を構えていた。
      名を安達景盛と言い、鎌倉時代初期の武将である。
      景盛の父盛長の代から源頼朝に仕え、北条氏と縁の深かった武将であり、三代実朝暗殺後、一度は出家するが後に鎌倉に戻り、北条と並ぶ有力御家人である三浦氏を滅ぼす役割を担う。

      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%81%94%E6%99%AF%E7%9B%9B

      景盛は鎌倉扇が谷に上屋敷を、田浦に下屋敷を持ち、「月見台」の名が示す通りの月の眺めを愛で、8月の十五夜、9月の十三夜の宵には家臣を集めて宴を催すのが恒例となっていた。

      この安達景盛と白狐にまつわる伝説が田浦の口碑として残されており、件の田浦稲荷の由来となっている。

      景盛は早くに先妻を亡くしたらしく、京で白拍子をしていた唐衣という女性を内縁の妻(妾)として迎え入れていた。
      ある十三夜の宴の折、座興にに琴を奏でていると、その日に限って琴の音色が冴えない。
      不審に思いつつ、奏でながら四方を見回すと、座の中に見慣れぬ小姓がひとり。
      勘の鋭い唐衣は調べを止め、脇の小箱に納めてあった針を持ち、小姓のそばに歩み寄るとその小姓の服の裾をひと刺し。すると小姓はひと鳴きしたとと思うと白狐に姿を変えた。

      どうやら唐衣の琴の調べを聞きたくて化けただけのようだが、まんまと座に潜り込まれてしまったことで景盛は激怒。この白狐を一刀両断にしてしまう。

      その白狐の遺骸が葬られた場所に祠が建てられた。

      この白狐、当地に100年以上暮らしていた夫婦狐の牝だったようだが、遺された牡が景盛をたいそう恨んだ…と話が続く。
      安達氏は、景盛の息子、泰盛の代に政争に敗れ断絶してしまうのだが、その安達家断絶に至る逸話として語られることが多い。

      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%81%94%E6%B3%B0%E7%9B%9B

      白狐の恨み恐るべし…という事で手厚く祀られ、盛福寺開山の際、鎮守として遷座したとのこと。

      この城の台、現在は市営団地になっているが、太平洋戦争中は一般人の立ち入れる場所ではなかった。
      「城の台防空砲台」(諸説あり)への補給ルート上にあり、かつ軍港であった横須賀港、長浦港一帯を一望できる場所であることから、要塞地帯に設定されていた。

      http://members2.jcom.home.ne.jp/kemukemu/newpage144.html
      大きな地図で見る

      今の月見台団地から更に坂を登り、塚山公園に向かう道すがら、その眺望を楽しむことが出来る。

      十三峠からの眺望
      十三峠からの眺望 posted by (C)yonosan0421

      江戸期には俗に「浦賀道」と呼ばれた街道筋であり、江戸と浦賀を結ぶ貴重なルートであり、かつその浦賀道中最大の難所であった十三峠である。
      浦賀道についても別稿で扱う予定だが、舗装された現在とは異なり、かつては難所とされ、浜側に近い山越え道では追い剥ぎに農具を奪われる事件が多発したことから「失釜(しっかま)」などとありがたくない地名まで付けられてしまった場所だが、峠越えの一瞬、一望の下に見渡す東京湾は、今以上の絶景だったろう。

      ※参考文献
      横須賀市編「古老が語るふるさとの歴史 北部編」
      横須賀市民文化財団「横須賀こども風土記 上巻」
      田浦地域文化振興懇話会「田浦をあるく」
      横須賀文化協会「横須賀雑考」

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        2013/03/20 8:18 PM by -

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