ジスロマック

[YD]よのって、誰?

いや、正体はバレバレなんだけどね(笑)

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2013.06.09 Sunday

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    2011.12.21 Wednesday

    心構え

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        先頭をゆく色部又四郎は、背後の冷たい視線にひたすら耐えていた。
      (一年余、備えに備えてこのざまは何だ)
       常日頃から用意しても、深夜の応急派兵に混乱はまぬがれない。それが昨日まで吉良屋敷に上杉侍を配備する事すら非難轟々だった。
      (強欲の噂高い吉良のために、何で上杉侍がいのちを賭けるか)
      (吉良は吉良、他家の争い事に介入する必要はない。火中の栗ではないか)
       ばかな! と言いたい。藩主の実父実子を見殺しにして武門の面目が立つか、と怒鳴りたかった。
       それが、昨夜、討入の知らせをうけると、藩士の態度が一変した。
      (殺れ! 赤穂如き小藩の浪人づれにあなどられて、見過しに出来るか!)
       戦さというのは、そういうものだった。
       戦さを対岸で見ているときは、平和論が圧倒的である。だが、わが身や血縁に恥辱や害が及ぶと、勃然と血が沸き、あたりへの配慮も、後々の障りも考えなくなる。
       それは理屈ではない。一片の恥辱、あなどり、侵害ある時は、髪はそそけ立ち、肌が粟立ち、全身が燃え立つ。それは闘争・生存本能の為せるわざなのだ。
       しかし、事態に直面してからでは遅過ぎる。
       平和主義の難しさは、その辺にある。どこまで人は尊厳を捨て、名誉と誇りを捨て、権利の侵害に耐えられるか。確たる一線を引いておかねばならない。平和主義だから戦さを考えない、戦さを考えるのは平和の敵だという考えは、人格を放棄した奴隷に等しい。
       ――上杉の士道は、地に堕ちた。
       色部は、もう吉良屋敷の上杉侍の健闘に期待するほかなかった。
      (池宮彰一郎「四十七人の刺客」下巻 角川文庫)

      四十七人の刺客〈下〉 (角川文庫)


      四十七人の刺客〈上〉 (角川文庫)


      2013.06.09 Sunday

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