ジスロマック

[YD]よのって、誰?

いや、正体はバレバレなんだけどね(笑)

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2013.06.09 Sunday

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    2010.03.23 Tuesday

    やっとわかった横須賀フランスパンの謎!

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      061221_1536~0001.jpg 

      うんと前にこのブログで書いた「横須賀のフランスパン」。

      やっと最近その謎が解けました。

      前のエントリからのおさらい。

      横須賀で「フランスパン」と言えば、いわゆるバケット型の細長いフランスパンではなく、上記写真のような「まるくて柔らかい」俗に言う「ソフトフランス」の方に親しみがあり、横須賀市民にとって「フランスパン」と言えば「ソフトフランスを指す」と言う世代が存在する…ということ。

      今でも親しみを持って食べ継がれている商品でもあります。

      が、なぜ「ソフトフランス」が「フランスパン」として横須賀に定着してしまっていたのか…がボクにもよくわからなかったのです。

      その謎は、数年前に日本テレビ系列「ぶらり途中下車の旅」で放送されていたようで…。

      放送されていた回の紹介ページはこちら。

      日本テレビ:「ぶらり途中下車の旅」京浜急行(2007.4.7)放送
      http://www.ntv.co.jp/burari/070407/0407naiyou.html

      横須賀中央で下車した時に見つけた「レトロなパン屋さん」が、前のエントリでも書いたソフトフランス老舗のひとつ「ヨコスカベーカリー」。

      どうやら日本テレビの方針で古い番組のアーカイブは消してしまわれそうなので、一応概要のみ引用…。


      ヨコスカベーカリー 
      丸いフランスパン 
      幕末、フランスは横須賀での幕府の横須賀製鉄所を支援していました。
      横須賀製鉄所は国防の重大性から、幕府は横須賀造船所としての計画推進をフランスに委嘱し、
      フランスの公使が奔走の結果、慶応元年(1865)フランス本国から
      海軍造船技師60人の技術者が横須賀に来着して
      明治10年(1877)までの12年間建設作業が行われました。
      この間外国人技術者のため、フランスパン給食が炊事部で行われ、
      その指導者はフランス人の本物の製パン技術者でありました。
      当時のフランスパンは、現在よく見かける細長いバケット状のフランスパンでしたが、
      そのままの型だと焼き上がりまで40分もかかり、大量に焼くことができませんでした。
      そこで、当時の横須賀のパン職人さんが、
      パンの型を丸くして焼き上がり時間を15分程度に短縮したフランスパンを作り出しました。
      それが広がって横須賀では、丸いフランスパンが主流になっています。
      こちらのお店では、先代のご主人がその丸いフランスパンをさらに改良し、
      元々入っていないバターと砂糖を加えて、柔らかく食べやすいパンを作っています。
      30円払えばジャム、バター、ピーナッツバターをトッピングとして、挟んで食べることも出来ます。 

      (引用元はこちら:http://www.ntv.co.jp/burari/070407/info06.html

      つまり、「横須賀製鉄所の建設のために滞在した多くのフランス人に、素早くフランスパンを提供するために工夫して作られたフランスパン」が原型なのですね。

      で、よくわからない人のためにクイック講座「横須賀製鉄所について」(笑)。

      幕末の日本には「列強」の外圧が強まりつつありました。
      「黒船」ペリー艦隊はいわゆる「決定打」ではあったものの、いきなりペリーがやって来て外国の圧力を感じた…というのではなく、すでに日本の植民地化、ないしは日本を「消費地」として交易を求めようとしたヨーロッパ各国の手は既に伸びていたのです。
      例えば薩摩が英国と(薩英戦争)、長州がフランスを始めとした列強と(馬関戦争)戦火を交えていた事を知っている人も多いと思います。

      「尊王攘夷」「佐幕開国」の議論が起こり始める背景にはそういう現実があったのですが、決定打としての「開国」のきっかけとなったペリー艦隊の東京湾侵入は、幕府にとって目前に突きつけられた脅威でもあったわけです。

      その脅威を最も感じていたのが当時勘定奉行であった小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)であったと言えるでしょう。
      (横須賀市民にとっては横須賀製鉄所の功労者として知られていますが、全国的には「徳川埋蔵金の鍵を握る人物として有名でしょう」
      江戸に公使館を置き、幕府と接点のあったヨーロッパ諸国のうち、フランスのレオン・ロッッシュとともに幕府の中枢を説得、「海の守り」としての(造船を中心とした)近代工業の導入を決心させます。

      海に面していて貿易に向き、かつ波の穏やかな天然の良港である横須賀の村が選ばれ、「横須賀製鉄所」なるものが作られます。
      (横須賀が「基地の町」になる素地が既にこの頃にはあったわけです。その件については語りたい事が山ほどあるのだけれど、そちらはまた別途(笑))

      詳しくはこちらを読んでいただくとよいでしょう。
      横須賀市ホームページ:ヴェルニー、小栗の尽力により横須賀製鉄所建設開始(よこすか歴史絵巻・江戸時代)
      http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/emaki/edo/edo_data6.html
      産業技術遺産探訪〜旧・横須賀製鉄所(横須賀造船所)・ドライドッグ、逸見波止場衛門(旧・日本海軍横須賀軍港表門)
      http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2000/Verny-park/Verny-park.htm

      この時、フランス人技師フランソワ・レオンス・ヴェルニーを中心とした多数のフランス人が横須賀製鉄所の建造のために横須賀にとどまり、その食事が問題になった…という処に「横須賀のフランスパン」が生まれる素地があったわけです。

      日本の(近代工業に比べ)貧弱な生産環境の中で生み出された貴石のフランスパン。
      ボクたちは小さい頃、必ず社会の授業で「横須賀製鉄所」を習うわけで、生まれるべくして生まれたフランスパンを、受け入れるべくして受け入れた…という事なのです。

      妙に納得。

      その「横須賀生まれのフランスパン」。
      現在は販売をしているところも多く、かつ全国に広まっているようですが、老舗…と言われるのはやはりこの3店舗なのでしょう。

      ヨコスカベーカリー(食べログ):
      http://r.tabelog.com/kanagawa/A1406/A140601/14010879/

      エスポワール・ハマダ(Deep City横須賀):
      http://blog.goo.ne.jp/tivgdtd/e/8d8cf307e80492057d4f1487eaa2ac8d

      浜田分店:
      http://panichiba-hamadabunten.co.jp/index.html

      公式ホームページを持っているのは浜田分店だけなのですが、この3軒の店を押さえておけば、「横須賀のフランスパンは完璧!(笑)

      ちなみに、ヨコスカベーカリーは、カステラに羊羹をはさんだあの「シベリア」を古くから取り扱っていた数少ない店の一つ。
      こちらも今や全国区ですが。
      興味のある人は、ぜひ。

      2013.06.09 Sunday

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