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いや、正体はバレバレなんだけどね(笑)
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仏教式で葬儀を行った場合の満中陰(四十九日法要)と、神式で葬儀を行った際の五十日祭…どちらも日数は良く似ているから、いわゆる「忌明け」に関してはこのあたりを目安に指定良いのだろうと思う。
ただ、前述の通り、仏教では本来その「忌」の期間を必ずしも「穢れ」として捉えるわけではないし、「本格的に故人の死を悲しむ」期間のひとつの目安として中国から導入され、仏教に合流したものである…という意味では、解釈は異なる。
調べている間に(どのサイトかわからなくなってしまったけれど)「仏式葬で玄関に「忌中」の札を貼るのは間違い」的なコメントを読んだのだけれども、これを「間違い」と言い切ってしまうのもちょっと危なっかしい気がする。
つまり、浄土真宗の「死は穢れではない」という考え方と、神社神道の「死は穢れ」は真っ向から対立する考え方であり、その真っ向から対立する考え方のそれぞれについて「それを信じている人がいる」という事。
つまり、「忌中」の札は、その「死は穢れであり、その穢れには極力近づかない」という考え方の人達に知らせる…という大事な意味合いがあると言っても良い。
これは神社の参拝の話ではないけれども、例えばお祭りで神輿を担ぐ予定のある人などには(厳密に解釈をすれば)必要なサインでもある。
神輿は「(死を穢れとして嫌う日本の)神様が乗る乗り物」であり、神輿を担ぐ…という行為が神事である以上、やはり「穢れ」には近づいてはいけない…というのは神道側での伝統的な考え方だし、祭事に中心になって関わる人達はそういう穢れに近づかない…「斎戒」が必要だったりもする。
これは、先に話した「地域性」の話にもなってくるのだけれど、そういう事を厳密に守っている地域もあるわけで、それが「良いか悪いか」という一面的な論理で相手に自分の考え方を押し付けるべきではないと思う。
「喪中」における神社への参拝についても同じ。
一応、ボクが小さい頃から聞かされていた「1年間は鳥居をくぐらない」の根拠が「諒闇の決まりに基づいた、伊勢神宮への参拝を遠慮する期間として現在定められているもの」ということが朧気ながらわかったけれども、神社によっては「最長50日」と言われる事も多いようで、各神社に問い合せる、あるいはその地域の習慣としてどのように考えるか…という事を考慮すると良いのではないかと思う。
結果として、日付が変わる直前に子供が寝てしまったため我が家の「初詣問題」はうやむやの内に終わってしまったのだけれども、四十九日を終えたら、もし出かける機会があれば普通に神社に連れていってあげよう…と思う。
(1月1日執筆)
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