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いや、正体はバレバレなんだけどね(笑)
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夜になって、晩飯だの風呂だの明日の英語で和訳を当てられそうなところの予習だのを適当に済ませ、もうあとは寝るしかない時間を時計の針が指したあたりで、俺は自室のベッドに寝転んで長門から押し付けられた厚い書物をひもといていた。たまには読書もいいかなと思って何の気なしに読み始めたのだが、これが存外面白くてすいすいページが進む進む。やっぱり本なんてものは読むまで面白さがわからないもんだ。いいね、読書は。
(谷川流「涼宮ハルヒの憂鬱」・角川書店)
…うん、思った以上に面白かった。
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「人生、笑える時に笑っておけ。すぐに泣く時が来る」
鬼才・升田幸三先生から贈られた言葉である。
私がタイトルを獲った時、盤の向こう側の相手を気遣って、うれしさをこらえていた場面で出た言葉である。同時にこれは、先生の六十年に及ぶ将棋人生を象徴する言葉でもあった。
(米長邦雄「不運のすすめ」より抜粋)
升田幸三氏といえば、ゴミハエ問答とか、終戦後「(捕虜を戦地に送り込むという)危険思想を含む野蛮なゲームだから禁止すべきである」という論調に傾いていたGHQを言い負かして将棋を存続させたとか、「名人に香車を引いて」とか、エピソードに事欠かない人物ではある。
が、それは棋士人生の、本来一番脂の乗り切っていたはずの時期を戦地で過ごし、辛酸を舐めて来た人ならではの含蓄がある。
詳しくはこちらで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%87%E7%94%B0%E5%B9%B8%E4%B8%89
この文章を引用した米長氏が、過日逝去され、多分今日、あちらで升田氏と再会しているはずだ。
またキツい事言われながらケラケラ笑っているんだろうか。
破天荒な人生だったはずだから、それもまた良し…か。
ご冥福をお祈りします。
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先頭をゆく色部又四郎は、背後の冷たい視線にひたすら耐えていた。
(一年余、備えに備えてこのざまは何だ)
常日頃から用意しても、深夜の応急派兵に混乱はまぬがれない。それが昨日まで吉良屋敷に上杉侍を配備する事すら非難轟々だった。
(強欲の噂高い吉良のために、何で上杉侍がいのちを賭けるか)
(吉良は吉良、他家の争い事に介入する必要はない。火中の栗ではないか)
ばかな! と言いたい。藩主の実父実子を見殺しにして武門の面目が立つか、と怒鳴りたかった。
それが、昨夜、討入の知らせをうけると、藩士の態度が一変した。
(殺れ! 赤穂如き小藩の浪人づれにあなどられて、見過しに出来るか!)
戦さというのは、そういうものだった。
戦さを対岸で見ているときは、平和論が圧倒的である。だが、わが身や血縁に恥辱や害が及ぶと、勃然と血が沸き、あたりへの配慮も、後々の障りも考えなくなる。
それは理屈ではない。一片の恥辱、あなどり、侵害ある時は、髪はそそけ立ち、肌が粟立ち、全身が燃え立つ。それは闘争・生存本能の為せるわざなのだ。
しかし、事態に直面してからでは遅過ぎる。
平和主義の難しさは、その辺にある。どこまで人は尊厳を捨て、名誉と誇りを捨て、権利の侵害に耐えられるか。確たる一線を引いておかねばならない。平和主義だから戦さを考えない、戦さを考えるのは平和の敵だという考えは、人格を放棄した奴隷に等しい。
――上杉の士道は、地に堕ちた。
色部は、もう吉良屋敷の上杉侍の健闘に期待するほかなかった。
(池宮彰一郎「四十七人の刺客」下巻 角川文庫)
今日の現状と、何かがシンクロするような気もするので、長いけどそのまま引用。
「(海軍の対米開戦決意に大きな影響を与えたと言われる第一委員会の活動に関して)あんなもの百害あって一利なしと、今でもそう思っているけれど、実際は第一委員会がいけないというより委員会という制度そのものがよくないんだね」
「ある面から見れば、委員会とは要するに責任を回避するための組織ですよ。今の内閣が、何か難しい問題にぶるかるといすぐ調査会とか審議会とかを作るのを新聞で読んで、ああ、同じことをやってるなと思います。あれをつくると、責任の所在は分散して、誰がほんとうの責任を取るのか、はっきりしなくなる。殊に第一委員会のよな秀才揃いの委員会では、自分の主幹事項に関する限り各委員とも非常に突っ込んだ勉強をして臨んでくるから、上が何も勉強していない無能な大臣総長だと、委員会の出す決議に圧迫を感じるんですね。それでつい盲判ということになってしまう。その結果、此処まで来たら対米一戦止むを得ないんじゃないかというような、とんでもない結論が、誰が言い出したのか責任者不明の、極めて曖昧なかたちで大勢を支配し始めるのです」※昭和45年5月、東北大学法学部教授・池田清のインタビューより
阿川弘之「井上成美」(新潮文庫版)559ページ
井上成美についてはこちら→Wikipedia:井上成美
(ここで挙げられている)第一委員会についてはここを読むといいかもしれません。
→Wikipedia:石川信吾
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もはや書評や感想の香りはしなくなっているけれど…
旅への憧れ
確かに、旅は病のようなものかもしれない。それも永遠に癒されることのない病だ。
旅への願望が病だとすると、私がそれに冒されたのはいつのことだったのだろう。中学生のころだったろうか。あるいは、高校生のときだったろうか。
過去にさかのぼってゆっくり考えていくと、ひとつの光景に出会う。小さな商店が軒を連ね、その前を歩いている通行人に、ダミ声の男たちが呼び込みをしている……。
(引用/「旅する力・深夜特急ノート」20〜21、第一章「旅という病」「その小さな旅がすべての始まりだったのかもしれない」より)
旅…という事に憧れを抱いたのは、いつの事だろう。
少なくとも小学生になった頃には、「旅に出る」という事に強い憧れを持っていた。
電車が好き…という、男の子なら多かれ少なかれ持つ嗜好が、より濃厚に出やすい環境にいたというのは、大きな理由のひとつだろう。
もう、電車が通るたびに家が揺れるような国鉄の線路沿いに住み、「電車」という乗り物を当たり前に目にし、だから遊びの中に電車が普通に存在した。
その電車に乗ればうんと遠くまで行けるんだ…という思いは早くから持っていたし、電車に乗って、今まで見たことのない、新しい景色に触れたいと思うようになるのに、そんなに時間はかからなかったように記憶している。